院長のひとり言

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医者とし駆け出しのころ

3人の恩師
1)土居 健朗氏との出会い

医学部を卒業し、何科を専門にするかで悩んでた時、彼の作品の“甘えの構造”と出会った。精神療法の素晴らしさに感動した。幸いお会いする機会に恵まれ、彼の指導する症例検討会に毎週参加させて頂くことになった。いわゆる“土居ゼミ”への出席と発表が、精神療法家としての私の地盤を形成してくれたといえる。彼の素晴らしさは、解釈の切れ味の良さにある。解釈を与えたとき、患者さんが “今まで一度も、そんな風に考えた事がなかった !とため息を付いたら、その解釈は的をついてると思っていい” と教えられた。他にも貴重な教えが沢山あり、自らの血と肉になっていることは確かである。
土居先生との出会いについては、“東大心療内科15周年記念誌” に詳しく紹介してありますので、ご参照ください。

2)小此木 啓吾氏との出会い

東大分院で開かれた彼の招待講演に出席した際に、”心療内科”の医局員のために”精神分析”についての講演をご依頼したが、快く快諾して頂いた。その後先生と医局の関係が深まり、”精神分析セミナー”や彼の指導する症例検討会へ、東大心療内科の医局員が多数出席させて頂くことになった。このセミナーと症例研究会での出席と発表が、精神療法家としての私を完成に大きく導いてくれたと感じる。彼の素晴らしさは、患者と治療者の関係を、極めて冷徹に、もの的に観察し、分析する能力である。もう一つ彼の魅力と言える要素に、陽性転移と陰性転移の分析と操作性にあると思う。
まだ心療内科が世に認められてなく、偏見や嘲笑の中、内科病棟で境界例患者を診療続ける私の姿に、いつも驚きのエールを送って下さった。葛藤も多々あったが、彼なくしては、現在の私はない。

3)石川 中氏との出会い。

 土居健朗先生のご紹介で 初めてお目かかった。心療内科の初めての医局員だったので、
公私に大変お世話になった。東大心療内科が主催した昭和64年の心身医学会総会で
は、摂食障害のシンポジストに推挙して頂いた。たいへんバランス感覚の優れた
方で、行動療法、バイオフィードバック、交流分析、ゲシュタルト療法,自律訓練法,を一つにまとめ上げ昇華させたサイバネーショウン療法を発表、当時大変話題を集めた。ただ非常に繊細な方で学会のまとめ役を一身に背負っていられた。その心労の為か難病に患い、59歳の若さで永眠された。心臓移植しか助ける手立てはなかったが、元医局長なのに何もできず、奥様には大変申し訳なく、ただただ残念であった。ここに深くお悔やみ申し上げます。亡くなられる数年前から、医局の研究会で、”治療モデルから成長モデルへ患者さんを導くことの重要性“を繰り返し教えていられた。当時は若輩なので、その重要性は良く分からなかったが、最近になって先生の教えに共感を覚えることが多い。