院長のひとり言

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いじめ

小学校高学年のある日の授業中、くず拾いの風采の上がらない父親が、”うちの息子”をいじめてる奴はどいつだ!!”と怒鳴ってクラスに入ってきた。彼はいじめられていた子の父親だった。その子は頭には大きな禿があり、クラスで一番強くてお金持ちの子に、毎日のようにからかっていじめられていた。子供の父親はいじめっ子に2,3発平手打ちをして“オマエだな!!今度やったら承知しねいぞ!!”と怒鳴って出て行った。

事件を聞いて駆け付けた担任は”親が出てくるなんて”と怒る一方で、殴られた子供ばかりをきづかっていた。いじめられていた子には全く無視して声掛けもしなかった。
くず拾いのお父さんは登下校でよく見る人で、乞食同然の方だったので、正直それまでは軽蔑していた。しかしこの件以降、自分の子供を守る彼の勇気に心の中で喝采を送った。
”子供のことは、子供同士で解決して“と静観してしまう親は、子供をいじめから救えず、結果的に生贄(いけにえ)になることを許してしまう。
マットにくるまれて殺害された鹿賀君の件でも、担任はいじめっ子達の肩を持っていたという。
いくら”クラス作り”に便利だからと言って、いじめる連中に加担するのは犯罪である。
日本では、いじめる側への甘さがあり、それが彼らを増長させている。説得ではいじめは解決できない状況にあることを自覚し、犯罪として扱う勇気が国民の側に求められている。

もう一例は、子供をいじめられて不登校に陥ったケースである。幸い別の小学校に転校してからは、友達もでき登校できる様になり危機は何とか乗り越えられた。
このケースの主役は子供の母親である。彼女は学校側と相手の親側の対応に法律的に問題があると考えて、不登校児に詳しい人権弁護士を自分で探してきた。そして弁護士の指導の下に、学校側と相手の親側に対して、公式な謝罪と慰謝料を要求し始めた。いじめがあったことを証明する診断書を弁護士と彼女は私に要求してきた。心療内科医の立場では、いじめの存在は証明できないと回答した。ただ事件は子供と母親に大きなストレスを与えたとする診断書を書いて渡した。
彼女の思考と行動は理論的で隙(すき)がなく、学校側もタジタジだったようだ。結果的に謝罪と謝礼で和解が着くことになった。

もう20年以上前なのに、彼女も弁護士も弱者の権利と尊厳を重視し、これを果敢に守り切っていた。彼らの行動に大きな拍手を送りたい。